琉球新報社提供 「落ち穂」06 2019.4.5掲載
馬の耳はよく動く。動き方や角度には、それぞれ意味がある。たとえば、ゆるく開いていたらくつろいでいる。ピンと立っていたらなにかを警戒中。絞るように後ろへ寝かせていたら怒っている。
耳を見れば馬の気持ちがわかる。そう気づいた時には、頭の中で電灯がぴかぴか光ったように感じた。すごい手がかりを得た気分になった。
犬がしっぽをぶんぶん振ったら喜んでいる。猫が毛を逆立ててシャーッと声を出したら威嚇している。ほとんどの人がそう知っている。でも馬がどんなふうに自分の気持ちを相手に伝えているか、わかる人はどれだけいるだろう。
すくなくとも最初のうち、私には馬の考えていることなんてまったく見当がつかなかった。けれども、耳の動きに注目して馬の群れを眺め続けていたら、馬どうし、まるで手旗信号みたいに互いの気持ちを伝え合っている様子が見えてきた。さらに観察を続けると、耳に限らず、様々な体のしぐさが馬の言葉になっていることがわかってきた。そこには馬たちの豊かで繊細なコミュニケーションの世界があった。そのことをみんなに伝えたくて「馬語手帖」という本を作った。
東京にいた頃は、本を読んで紹介文を書いたり、人の話を聞いてインタビュー記事にまとめたり、という仕事をよくしていた。「読む」と「聞く」の違いはあるけれど、どちらも、誰かの考えや感覚を受けとり、そのエッセンスを読者に届けるという意味ではよく似ている。
誰かの語る言葉に耳を傾けている時、私にはその人の見ている世界が目の前に立ち上がってくるように感じられる。ただ自分のフィルターを通して受信しているから、ぼんやりしていてその実像をとらえることはできない。それでも相手の声を開こうと耳を澄ましているうちに、時折ふうっと風が通り、景色がくっきり鮮やかに見えた気がする瞬間がある。私は、驚き、感嘆し、膝を打ち、そのおもしろさを誰かに伝えたくなる。
とどのつまり、対象が人から馬に変わっただけで、ずっと同じことをし続けているのかもしれない。
text by 河田桟