「聞く」から「対話」へ

琉球新報社提供 「落ち穂」07 2019.4.23掲載

東京にいた頃、私が取材してまとめたいくつかのインタビュー記事に目を留め、会いに来てくれた人がいた。理由が変わっていた。記事の内容に興味を持ったのではなく、インタビューの聞き手がどんな人か会ってみたかったと言う。記事に対してそういう読み方をする人がいるなんて思ってもみなかったのでびっくりした。それが編集者である賀内さんとの出会いだ。

編集者にもいろいろなタイプがいる。賀内さんはちょっと不思議な人で、なんというか、そこで起こっている「動き」を見る。どこに行くのか、どんな形になるのかわからないけれど、なんだか動いているものがあったら、それを見る。ほとんどの人は気づかないかもしれない、かすかな動きに触ってみる。それを本にしたいと考える。

それまで私は「聞き手」とは受動的なものだと捉えていた。自分から話したり書いたりするのがあまり得意でなかったので、その立ち位置を心地よく感じていた。でも賀内さんに出会ってから、聞く行為の中にある相互作用的な側面に注目するようになった。1人が考えたことを別の1人が受け取る、というのではなく、双方の間に「起こってくるもの」とはなんだろうと考えるようになった。受動みたいな能動みたいな、どちらともいえない動きだ。

そんなふうにして始まった賀内さんとのやりとりは、すぐに本として結実することなく、私が馬と出会い与那国島に移住してからも続いた。行ったり来たり、なんだかよくわからないものをわからないままキャッチボールしていたら、ぼんやりとだけど知らない風の吹いている場所に辿りつける気がした。与那国島に小さな出版社を作るという試みも、そういうやりとりからひょいと生まれてきた。

カディブックスの本には作者として私の名前を記している。でも実際は、編集とデザインを担当した賀内さん、手伝ってくれた仲間達、馬とのやりとりの間から起こってきたものと言える。この対話的な動きは馬と人との関わり方にもつながっている。それが二作目の「はしっこに、馬といる」という本になった。

text by 河田桟