手触りとゆらぎ

琉球新報社提供 「落ち穂」02 2019.1.30掲載

紙の束から指の感覚で厚みを計り、このくらいと感じる量を手に取る。枚数を数えてみると欲しかった量とぴたり。その後に続く作業についても同じで、頭で考えなくとも、手順、力加減、動きのリズムがもう体に刻まれている。ただ無心に紙を折り続ける。

折っているのは本のカバーだ。カディブックスの本は、中身をオンデマンド印刷で作り、別に刷ったカバーを手作業でつけている。

少部数で製本までできるようになったのはデジタル時代の利点だけれど、そのままでは本の造りが味気ない。なにか手触りのある質感にならないかと考えてこういう形に行き着いた。手作業を加えることによって、簡素でありながら、どこかほっとするような本になるといいなと思った。

手で折るとそこにゆらぎが生じる。同じように見えても違いが出る。その日の天気や湿度や私の体調や一緒に暮らしている馬の気分が、きっと微妙に影響するだろう。与那国島の空気の成分も含まれる。本が呼吸し始める。

さて、実際にその作業をやってみると、作る側にも恩恵があることがわかった。同じ動きを規則的に何度も繰り返す、というその行為が、まず心を整える。そして作業をしたらその分だけ完成した本が目の前に積み上がる。それが気持ちいい。仕事の形が目に見えるのは、精神衛生上たいへんよい。私は手先が器用ではないのだけれど、何千回も繰り返せばさすがに体が覚えてくれて、やがてするすると体が動くようになった。

体が届く距離にある本作りといえばいいだろうか。もしかしたら、そういう形に行き着いた土台には、馬との暮らしが関係しているかもしれない。馬は自分の体が届く距離で物事を感じ、考え、会話する。馬と話しているうちに、私の思考と感覚には馬のリズムが入り込んでいる。

手を動かし本を仕上げている時、近い未来に遠い場所でこの本を手にしている人を想像することがある。実際に会わなくても、なにかつながりが生まれたような気持ちになる。与那国島の風が、ほんのちょっぴりでもその人に届くといいなと思っている。

text by 河田桟